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2003年 世界の科学者シリーズ

2003年1~2月 マクスウェル 1831~1879

電磁気学の父。英国人。 科学の好きな父のもとで小さいときから科学に親しみ、早熟ぶりを発揮したが、ケンブリッジ大学の卒業席次は2番だった。 1855年「目によって理解される色の実験」をまとめたが、これは3原色印刷の基礎になった。 翌年、「土星の輪は1枚の板ではなく、沢山の岩石が集まって衝突しあっている」ことを明らかにした。 さらに、その考えを気体の分子の衝突に当てはめ<気体の分子運動の速度の分子法則>を発見するに至った。 また、数学のできないファラデーが<電磁気力を伝えるもの>として抱いていた「場」のイメージを数学化して<光の電磁波説>を導きだすのに成功し、電磁気学の父となった。

2003年3~4月 ラヴォアジェ 1743~1794

近代化学の父。フランス人。 パリ大学法学部に入学したが、在学中に地質学者のゲタールと親しくなって科学研究に深入りし、<徴税請負人>として生計を立てた。 1775年<火薬管理官>の制度ができるとその管理官になり、兵器廠に住み込んで美しい妻を記録助手として化学の実験を開始。 大レンズを用いてダイヤモンドを燃やす実験にも成功した。「密閉したガラス容器の中では化学反応が生じても重さは変わらない」ことを明らかにして<質量保存の法則>を確立。 燃焼による重さの変化は酸素の結合によることを解明して、化学元素の近代的な概念を確立した。徴税請負人だったために、フランス大革命の時処刑された。

2003年5~6月 コペルニクス 1473~1543

「太陽その他の天体が地球の周りを回転しているのではなく、地球のほうが太陽の周りを回っているのだ」という地動説を提唱して、世界観をひっくり返した人。 ポーランド人。 キリスト教の司教だった叔父の庇護のもとにイタリアの大学で法律や医学を学び、天文学に興味をもった。 帰国後、叔父の秘書・政治顧問・主治医となって、(貨幣の鋳造論)など経済の改革にも力を注いだ。 その一方、天文学の研究をすすめ、1519年ごろ、地動説の著書をまとめ始めた。 しかし、その考えの馬鹿らしさを嘲笑する人もあったので、その発表をためらったので、その著書が出版されたのは、彼の死の時についた1543年のことだった。

2003年7~8月 デモクリトス 紀元前470~380

「この世のものはすべてアトム=原子からできている」という原子論を提唱した人。 ギリシアの植民土地アブデラに生まれ、5年間にわたり、当時の誰よりも広く地中海世界を旅行し、各地の学者たちの話を聞いたり産物を視察して広い知識を得て、膨大な著書を書いたが、その著書は1冊も伝わっていない。 その原子論は、しばしば「空想的原子論」などと呼ばれるが、その原子論を受け継いだエピクロス(前342~前270)は、<重さ>を原子の最も基本的な性質として、空気中や水中で物質が浮上するのは<軽さ>のためではなく、周りの空気や水の及ぼす浮力によることをといて、アルキメデスの浮力の研究に道を開いた。

2003年9~10月 モーガン 1866~1945

遺伝子の発見者。 米国南部の名家の家に生まれ、1886年州立カレッジを卒業。 イタリアのナポリ動物学研究所に留学、「動物の卵からの発生の仕方は<成体を傷つけたときに起こる「再生」現象>と似ている」ことに気づき、<個体の発生>と<傷を治す再生>とは本質的には同じ現象であることを明らかにしたした。 1904年コロンビア大学の教授になると、「生物の種は突然変異によって変わる」という新説を実証しようとして、<1度に沢山の子を生み、短い時間で世代交代するショウジョウバエ>に目をつけた。 そこで、突然変異による遺伝を実験的に解明することが可能になり、遺伝子の存在を突き止めることに成功した。

2003年11~12月 ヴォルタ 1745~1827

電池を発明。 北イタリアのミラノ公国の神学校に入ったが、独学で1775年に<静電気を増幅させる>のに便利な電気盆を発明して学会にデビュー。 さらにメタンガスを発見してパヴィア大学の教授に迎えられた。 1791年<カエルの筋肉に2種類の金属を接触させると痙攣する>というカルヴァーニの発見を知り、その現象は<カエルの筋肉>ではなく、<2種類の金属>が起こすことを突き止めることに成功した。 しかし、まもなく大学がナポレオンの軍隊に占領されたため、大学を代表して陳情するたびに出たが、そのときに「電池」の発明に成功し、科学好きのナポレオンにその実験を見せて一躍有名になり、伯爵の爵位ももらう結果になった。